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浦和地方裁判所 昭和38年(わ)304号 判決 1964年3月11日

被告人 一夫こと石川一雄

昭一四・一・一四生 鳶職手伝

主文

被告人を死刑に処する。

押収に係る身分証明書一通、万年筆一本、腕時計一個(昭和三八年押第一一五号の二、四二、六一)は、いずれも被害者Aの相続人に還付する。

理由

(被告人の経歴、本件第一乃至第三の各犯行に至る経緯)

被告人は、小農を営む傍ら駅の貨車の砂利積人夫をしていた父富蔵と、母リイとの間に、十人きようだいの中の四男として生れ、小学校五年を修了したのみで勉強を嫌い、農家の子守奉公に行き、その後靴店店員見習、農家雇人、製菓会社工員、土工、養豚業雇人など転々と職を変え、昭和三十八年三月初頃肩書自宅に帰つて、兄六造の鳶職の手伝いをしていたものであるが、埼玉県入間郡武蔵町高倉の、土建業西川正雄こと鄭壬出方の土工をしていた当時の昭和三十七年四月頃から同年六月頃までの間に、軽自動二輪車二台を代金合計十八万五千円で、月賦で買い入れ、その修理費、ガソリン代の支払いを滞らせたり、月賦金を完済しない中に右軽自動二輪車を売却または入質したことによる後始末のための負債がかさんだため、右西川方の土工をやめた後の同年九月頃、父富蔵から約十三万円を出して貰つてその内金の支払をした。そのようなことから被告人は家に居づらくなり、翌十月末頃から狭山市大字堀兼七百四十五番地の二養豚業石田一義方に住み込みで雇われ働いたが、長続きせずに約四ヶ月でやめ、昭和三十八年三月初頃自宅に戻つたのであるが、前記の如く父に迷惑をかけたことや、被告人の生活態度などが原因で、兄六造との間がうまく行かず、同人から家を出て行けといわれ、父富蔵も被告人をかばつて六造と仲たがいするなどとかく家庭内に風波を生ずるに至つたので、被告人は、いつそのこと東京都へ出て働こうと思い立つた。しかしそれについては、父に迷惑をかけた前記十三万円を返さなければならないと思つていたところ、その頃たまたま同都内で起つたいわゆる吉展ちやん事件の誘拐犯人が、身の代金五十万円を奪つて逃げ失せたことをテレビ放送等を見て知るに及び、自分も同様の手段で他家の幼児を誘拐し、身の代金として現金二十万円を喝取したうえ、内十三万円を父富蔵に渡し、残りの金を持つて東京に逃げようと考えるに至り、その際使用する目的で、同年四月二十八日頃、自宅玄関先四畳半の部屋で、大学ノートを破つた紙を使用して、ボールペンで、「子供のいのちがほしかつたら四月二十八日夜十二時に、女の人が前の門のところに現金二十万円を持つて来い、金を持つて来れば子供は無事に返すが、時が一分でもおくれたり、警察に知らせたりしたら子供は殺す」旨記載した脅迫状一通を作成し、これを封筒に入れ、該封筒の宛名を「少時様」と記載して準備し、機会があれば右計画を実行しようと考え、ズボンの後ポケツトに入れて持ち歩いていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和三十八年五月一日午前七時三十分頃、家人には仕事に行くと称して弁当持参で家を出たが、怠けて西武園の山中や、所沢市内のパチンコ店で遊んで時を過ごした後、同日午後三時頃、西武鉄道新宿線入間川駅に帰着し、同駅前の店で買つた牛乳二本を飲みながら、あてもなく、恰も同日祭礼のあつた右入間川駅附近の荒神様の方へ向かつて歩き、同所を通り過ぎて通称加佐志街道を狭山市入間川千七百七十四番地高橋一男方通称「山の学校」附近まで行つたが、同所から引き返し、再び右荒神様の方へ歩いて来た際、同日午後三時五十分頃、同市入間川千七百五十番地先の右加佐志街道のエツクス型十字路において、自転車に乗つて通りかかつた下校途上の埼玉県立○○高等学校○○○分校別科一年生A(当時十六歳)に出会うや、とつさに同女を山中に連れ込み人質にして、家人から身の代金名下に金員を喝取しようと決意し、同女の乗つていた自転車の荷台を押えて下車させたうえ、「ちよつと来い、用があるんだ」と申し向け、同女を南方の同市入間川字東里二千九百六十三番地の雑木林(通称「四本杉」)に連れ込んだが、その途中で逃げられないため同女の自転車を取り上げて自ら押して歩き、なお、同女からその氏名がAで、父はBであること及び住所は同市○○方面にある○○ガーデンの手前のたばこ屋附近であることなどを問いただし、右雑木林内では同女の手を掴んで奥の「四本杉」の立木附近まで連れて行き、同所で、同女を附近の松の立木に縛りつけ、そのままにしておいて脅迫状を同女の父B方にとどけて同人から身の代金を喝取し、かつA所持の金品をも強取しようと企図し、同女に対し「騒ぐと殺すぞ」と申し向けながら、立たせたまま附近の直径約十糎の松の立木を背負わせるようにして、所携の手拭(同押号の一一は右手拭を三つに分断したもの)で同女を該立木に後手に縛りつけ、所携のタオル(同押号の一〇)で目隠しを施し、その反抗を抑圧したうえ、まず同女が身につけていた同女所有の腕時計一個(同押号の六一)及び身分証明書(同押号の二)挿入の手帳一冊(被告人はこれを三つ折財布という)を強取した際、俄かに劣情を催し、後手に縛つた手拭を解いて同女を松の木からはずした後、再び右手拭で後手に縛り直し、次いで数米離れた四本の杉の中の北端にある直径約四十糎の杉の立木の根元附近まで歩かせ、同所でいきなり足払いを掛け、仰向けに転倒させて押えつけ、ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押えつけたが、なおも大声で騒ぎたてようとしたので、遂に同女を死に致すかも知れないことを認識しつつあえて右手に一層力をこめて同女の喉頭部を強圧しながら強いて姦淫を遂げ、よつて同女を窒息させて殺害したすえ、同女が自転車につけていた鞄(同押号の三〇)の中にあつた同女所有の万年筆一本(同押号の四二)など在中の筆入れ一個を強取した

第二、前記のとおりAを殺害した後、同女の死体を一時附近の芋穴に隠し、後でこれを農道に埋めて前記犯跡を隠蔽しようと考え、同日夕刻、右死体を両腕で抱えて、同所より新井千吉所有に係る同市入間川二千九百六十二番地畑内の、入口の大きさ縦約七十七糎、横約六十二糎、深さ約二米七十糎の芋貯蔵穴の側に運んだうえ、附近の家屋新築現場にあつた荒縄、木綿細引紐、(同押号の六乃至九)を使用し、死体の足首を右細引紐で縛り、その一端を右荒縄に連結して同死体を右芋穴に逆吊りにし、荒縄の端を芋穴近くの桑の木に結びつけたあげく、コンクリート製の蓋をして一旦死体を隠し、後記判示第三のように脅迫状をB方にとどけた後、再び右芋穴のところに引き返し、同夜九時頃、その途中にある同市堀兼九百五十一番地所在の前記石田一義所有の豚小屋から持つて来たスコツプ(同押号の四一)で、右芋穴の北側にある同市入間川二千九百五十番地の農道に、縦約一米六十六糎、横約八十八糎、深さ約八十六糎の穴を堀り、その中に前記芋穴から引き上げて運んだAの死体を、前記の如き両手を後手に縛り、目隠しを施し、足首を縛り、荒縄をつけたままの姿で俯伏せにして入れ、土をかけて埋没し、もつてこれを遺棄した

第三、前記のようにAを殺害した後前記雑木林内において、かねて用意の前示脅迫状を取り出し、脅迫文中の現金二十万円を持つて来るように命じた日時「4月28日」を「5月2日」に、場所「前の門」を「さのやの門」に、それぞれ所携のボールペンで書き直し、もつて五月二日夜十二時に女の人が佐野屋の門の前に現金二十万円を持参すべき旨及び金を持つて来れば子供は無事に返すが、もし金を持つて来るのが一分でもおくれたり、警察に知らせたりしたら子供は殺す旨の脅迫文に訂正し、なお封筒の宛名(少時様)を斜線で消し、その下方に「○○○○○」と記載してAの父の名宛にしたうえ、これをAから強奪した手帳の中に挿入してあつた前記身分証明書と共に右封筒に入れ、(同押号の一は右脅迫文と封筒)前記のようにAの死体を一時芋穴に隠した後、同女の自転車を利用して同日午後七時三十分頃狭山市大字○○○×番地のB居宅に赴き、表出入口の二枚の硝子戸の合せ目隙間から右脅迫状を差し入れ、間もなく同人をしてこれを閲読するに至らしめてその旨畏怖させ、よつて同人から前記金員を喝取しようとしたが、同人において直ちに警察にとどけ出たことから、被告人の指示した翌五月二日午後十二時前頃より、同市堀兼七百九十三番地の二酒類雑貨商佐野屋こと佐野良二の店舗附近に警察官等が張り込みをなすに至り、翌三日午前零時十分過ぎ頃、同所に金員を受け取るべく出向いた被告人において、前記指示に基いてそこに来たAの姉Cと問答中、同女以外にも附近に人のいる気配を感じて逃走したため、右金員喝取の目的を遂げなかつたものである。

第四、(一) 石田一義、東島明、石田義男と共謀のうえ、昭和三十七年十一月十九日頃、狭山市北入曽六百十三番地東亜電波工業株式会社建築現場において、光陽建設株式会社代表取締役江草光太郎管理に係る杉柱材十六本(十・五糎角、長さ三米、時価合計約二万三千二百円相当)を窃取した。

(二) 荻野清と共謀のうえ、昭和三十八年一月下旬頃、同市大字堀兼七百五番地横山庄平方において、同人所有の成鶏三羽(時価合計約九百円相当)を窃取した

(三) 東島明と共謀のうえ、同年三月六日頃、同市柏原千百十番地吉田利方において、同人所有の成鶏二羽(時価合計約千円相当)を窃取した

(四) 同年三月七日頃、同市大字堀兼千三百八十七番地高橋良平方前道路上において、同所に停車中の貨物自動車内より、同人所有の作業衣一着(時価約千五百円相当)を窃取した

第五、石田一義、石田義男と共謀のうえ、同年一月七日頃、同市入間川字下平野地内薬研坂南側雑木林内において、田口藤男所有の茅約百二十束(時価合計約二千四百円相当)を窃取した

第六、石田義男、東島明と共謀のうえ、昭和三十七年十一月二十三日頃、同市南入曽五百四十六番地入間小学校校庭において、関口健一(当十九年)に対し、些細なことから因縁をつけ、同人の顔面を手拳で数回殴打し、更に足蹴りにする等の暴行を加え、よつて同人に対し加療約五日間を要する顔面、頭部打撲症等の傷害を負わしめた

第七、(一) 高橋良平、石田義男と共謀のうえ、昭和三十八年一月七日頃、同市大字堀兼千九百七十番地松本留蔵方南側道路上において、前記被害事実を種に金品を要求する目的で押しかけた右関口健一に対し、同人の顔面を手拳で数回殴打し、更に足蹴りにする等の暴行を加えた

(二) 同年二月十九日頃、同市入間川三千四百四十番地先路上において、竹内賢(当二十二年)に対し、些細なことから因縁をつけ、同人の顔面を手拳で二回位殴打して暴行を加えた

第八、昭和三十七年四月九日頃、所沢小型自動車販売有限会社狭山営業所長大野稔より代金完済まで所有権を留保する特約のもとに同会社所有の軽自動二輪車ヤマハ号二百五十cc一台を代金六万五千円で月賦購入する契約をなし、右軽自動二輪車を受け取り保管中、代金完済に至らない同年六月中旬頃、同市入間川三千四百七番地石川寅夫方において、右軽自動二輪車を擅に同人に代金二万五千円で売却して横領した

ものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人等の主張に対する判断)

一、自白調書の証拠能力について

弁護人中田直人、同石田享は、本件昭和三十八年七月九日起訴にかかる強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の事実についての被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、いわゆる別件逮捕、再逮捕による逮捕勾留のむしかえしによる違法、不当の拘禁中の取り調べによつて得られた供述に基くものであるから、違法な証拠であり証拠能力を否定さるべきものであると主張する。

よつてまずこの点につき考察するに、記録によれば被告人は昭和三十八年五月二十三日窃盗、暴行の外、本件恐喝未遂の被疑事実に基く逮捕状により逮捕され、同月二十五日右被疑事実に基く勾留状により勾留され、同年六月十三日まで右勾留が延長されたうえ、同日窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件につき、浦和地方裁判所川越支部に起訴され(同被告事件は、同年七月十七日、浦和地方裁判所第一刑事部において、本件同庁昭和三八年(わ)第二七四号、強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂被告事件に併合審判の決定がなされた)、右六月十三日右起訴事実中、前記勾留の基礎となつた事実以外の窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領の事実についても勾留状が発付されたが、弁護人石田享、同橋本紀徳からの請求により、同月十七日前記川越支部裁判官により保釈許可決定がなされた。ところが右保釈許可決定の執行後間もなく、強盗強姦殺人、死体遺棄の被疑事実に基く逮捕状により即日再び逮捕され、同月二十日右被疑事実に基く勾留状により勾留され、更に同年七月九日まで右勾留が延長されたうえ、同日本件強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂被告事件につき浦和地方裁判所に起訴されるに至つたことが明らかである。

ところで、もし捜査機関において、当初の逮捕状及び勾留状に記載されている被疑事実について取り調べの意図がなく、専ら本来の目的とする事件の捜査の必要上該逮捕、勾留を利用するため、名を別件に藉りてこれを請求したのであれば、それはまさに別件逮捕及び勾留として違法であり、第二次の逮捕、勾留もまた違法、不当なものといわなければならない。しかしながら本件においては、記録を検討すれば当初の窃盗、暴行、恐喝未遂事件についてなされた前記逮捕及び勾留は、捜査機関が主として該逮捕、勾留の基礎となつた窃盗、暴行、恐喝未遂の事実及びその頃発覚するに至つた前記六月十三日起訴に係る事実中同日勾留状の発せられた各罪についての取り調べに利用したものであることが認められるのであつて、決して前記中田、石田両弁護人主張の如く、当初から、専らこれを当時未だ逮捕、勾留をなし得る程度の資料を具備していなかつた前記強盗強姦殺人、死体遺棄事件を取り調べる目的で請求し、かつ右取り調べに利用したものとは認められない。もつとも第一次の逮捕、勾留の期間中において、右恐喝未遂に使用された脅迫状の筆跡を調べた結果、それが被告人の作成したものと認められたため、その文面からAの殺害にも関係あるものとして、被告人から煙草の吸殻と唾液の任意提出を求めて血液型の鑑定の嘱託をする等、右殺害等事件についても取り調べをしたことが窺われるが、たとえ逮捕、勾留の基礎となつていない事実であつても、たやすく発覚するに至つた前記余罪についてはもちろん、いやしくも恐喝未遂に関連する右殺害等について、右程度の取り調べをすることは何等法の禁ずるところではないと思料されるから、これが取り調べをしたからといつて、直ちに前記窃盗等についてなされた第一次の逮捕、勾留が当初から前記強盗強姦殺人等事件の捜査に利用されたものとなすことはできず、従つて右逮捕、勾留を目して違法、不当なものとなすことはできない。果してしからば、その後において、前記強盗強姦殺人、死体遺棄事件につき発せられた第二次の逮捕状及び勾留状に基く逮捕、勾留は、何等逮捕、勾留のむしかえしということはできないから、これまた違法、不当なものということはできず、その期間中に作成せられた本件強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の事実についての被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の証拠能力も、その故をもつてこれを否定することはできないのである。しかも、本件において強制、拷問、脅迫その他供述の任意性を疑わしむべき事情は毫も存しないのであるから、前記両弁護人の主張は採用できない。

二、自白の信憑力について

前記中田、石田両弁護人は、本件強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件に関する被告人の自白(捜査機関に対する各自白調書のみならず当公判廷の自白をも含む。以下これを単に本件自白と略称する。)につき、幾多の疑問点ありとして、或は他に共犯者がおるが如き、或は自白に基く物証の発見経過に捜査機関その他の作為が存するが如き口吻でその信憑力を争い、結局右各犯行は証明されていない旨主張する。しかしながら、被告人は捜査の当初全面的に右各犯行を否認していたが、昭和三十八年六月二十日頃から一部自己の犯行(三人共犯説)を認めるようになり、次いで同月二十三日頃、捜査機関に対し全面的に自己の犯行である旨自白するに至るや、その後は捜査機関の取り調べだけでなく起訴後の当公判廷においても、一貫してその犯行を認めているところであり、しかもそれが死刑になるかも知れない重大犯罪であることを認識しながら自白していることが窺われ、特段の事情なき限り措信し得るものというべきところ、これを補強するものとして、前掲各挙示の証拠によれば、(1)B方にとどけられた封筒入り脅迫状一通(前記押号の一)は、明らかに被告人の筆跡になるものであること、(2)被告人は、右脅迫状がB方へとどけられた前後の頃、B方東方約百二十米のD方を訪れ、B方を尋ねていること、(3)五月三日佐野屋附近の畑地から採取された足跡三個(同押号の五)は、被告人方から押収された地下足袋中の一足(同押号の二八の一)によつて印象されたものと認められること、(4)五月三日午前零時過ぎ頃佐野屋附近で、Cが聞いた犯人の音声は、被告人のそれに極めてよく似ていること、(5)被告人の血液型は、B型で、被害者Aの膣内に存した精液の血液型と一致すること、(6)死体埋没に使われたスコツプ一丁(同押号の四一)は、狭山市大字堀兼の養豚業石田一義方豚小屋から盗まれたものであるが、被告人はかつて同人方に雇われて働いたことがあつて、右小屋にスコツプが置かれていることを知つており容易にこれを盗み得たこと、(7)被害者Aを目隠しするのに使われたタオル一枚(同押号の一〇)につき、被告人は入手可能の地位にあつたこと、(8)後記する如く被告人の自白に基き被害者Aの所持品であつた万年筆一本(同押号の四二)が、被告人の自宅から発見された外、被告人の自白した地点の近くから鞄類(同押号の三〇乃至四〇)、腕時計一個(同押号の六一)も発見されていること、(9)前記各事件は、明らかに土地感を有するものの犯行と認められるが、被告人は強盗強姦、強盗殺人の現場である「四本杉」、死体を一時吊して置いた芋穴、身の代金授受の場所と指定した佐野屋、前記石田一義方豚小屋の所在等をよく知つている外、その附近の地理にも明るい(もつとも、A方は、以前から知つておらなかつたので、(2)記載のとおりD方で尋ねた)こと、(10)被告人は、判示認定のとおり軽自動二輪車の購入費、修理費等で相当額の負債をつくり、父富蔵に約十三万円の出費をさせており、当時家庭内の不和もあつて、幼児を誘拐して身の代金として現金二十万円を喝取したうえ、内十三万円を父親に渡し、残りの金を持つて東京に逃げることを考えていたものであつて、被告人は身の代金喝取の動機と計画を有していたこと、(11)被告人は、セメント袋二個(合計約二十六貫相当)を一度にさげる程の腕力を有し、一人で死体を運搬することも可能であつたこと、(12)被告人は、捜査段階で全面的な否認から全面的な自白に移る過程において、他に二人の共犯者がおる旨供述しているが、これは共犯者二人の氏名、年令、人相、服装等全く明らかにしておらず、後に自白するところと対比しても、内容は極めて不自然で前記(3)の事実と抵触するところもあり、明らかに姦淫、殺害、死体遺棄等犯行の重要部分を共犯者の所為に帰せしめることにより自己の刑責を軽からしめようとする意図が看取されるものであつて、被告人の右供述は、虚偽のものと認められる(その他、本件において共犯者の存在を疑わしめる事情はない)こと等の諸状況が明らかとされているのであつて、被告人の前記各犯行を認むるに十分であるが、本件の認定を補足する趣旨で、以下必要な限度において、本件自白の信憑力、或は自白に基く各物証の発見経過について説明することとする。

まず、被告人の本件自白の信憑力を考察する場合、たとえば右認定の諸状況の中全く自白を離れても認めることのできる前記(1)乃至(7)の各事実((8)については別に後記する)を取り上げて見ても、これらはいずれもこれに副う被告人の自供部分(すべて各犯行の重要部分に当る)を概ね端的かつ強力に裏付けているといい得るのみならず、相互に相関連しその信憑力を補強し合うことによつて、被告人の本件自白全体の真実性をかなり高度に担保しているものと見て差支えなく(その外本件において、自白の真実性を担保するに足る状況は数多く存し、枚挙にいとまもないところである)、更に、本件自白の内容を仔細に検討、吟味するも、その具体性、状況の裏付けなどの点から見て大局においていずれも首肯し措信し得るところのものであり、まして弁護人等主張の如く根底からその真実性をおびやかし或は疑わしめるような状況は存在しない。もつとも、本件自白の細部において、くい違いや不明確な点等があり、或は状況の一部に触れていない個所もあるにはあるが、これとても前記各犯行の模様、即ち五月一日午後三時五十分頃被害者Aと出会つた後、「四本杉」附近に連れ込んでの強盗強姦、強盗殺人の犯行、死体を芋穴附近に運搬、縄を探して死体を芋穴に逆吊りにする、教科書類、鞄類の処置、B方への脅迫状差し入れ、豚小屋からのスコツプの持ち出し、芋穴附近に引き返しての死体の埋没、次いで帰宅等等の行動を、僅か六時間足らずの間に、しかも薄暗く降雨もある状況の下でやり遂げ、更に同月三日午前零時過ぎ頃、身の代金受け取りのため佐野屋附近に赴く等その行動は極めて活ぱつで、関係地点も多岐に亘る外、被告人自身にも犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと考えられ、被告人の供述の細部にくい違いや不明確な点等があり、或は被告人自身一部の細かい点を見落したり記憶していなくても、何等不自然ではなく、ましてやこれを捉えて被告人の本件自白を全面的に否定するが如きはまさに本末を転倒する見解といわなければならない。果してしからば、被告人の本件自白の信憑力は、根本においてこれを肯認すべきものであり、右と見解を異にする弁護人等の主張は、当裁判所の採用しないところである。

次いで、被告人の自白と物証の発見経過との関係について若干考察することにする。

(一)  万年筆の発見経過について

この点に関する前掲各証拠によれば、被害者Aの所持品であつたと認められる万年筆一本(同押号の四二)は、被告人が昭和三十八年六月二十四日司法警察員青木一夫に対し、「自宅風呂場の入口(検察官に対する翌二十五日付供述調書一通―二、二二〇五丁以下の分―によれば、勝手場入口の意と解される)敷居の上に今でも隠してある」旨自供したところから、翌二十五日小川簡易裁判所裁判官発付の捜索差押許可状を得たうえ、司法警察員小島朝政等において、同月二十六日被告人自宅に赴き、被告人の兄六造等を立会人として捜索を開始し、立会人六造をして同家勝手場南側出入口の上方の鴨居を捜させたところ、被告人の自供どおり発見されるに至つたものであること明らかである。

ところで、前記両弁護人は、右捜索に先立ち、同年五月二十三日及び同年六月十八日の二回に亘り被告人方の捜索が行われており、その時発見し得なかつたものが前記第三回目の捜索で発見されるとは如何にも不自然である旨主張するが、前掲証人小島朝政の当公判廷の供述及び同人作成の同年五月二十三日付捜索差押調書によれば、第一回目及び第二回目のときは捜査に手抜かりがあつたこと及びそのためこれを発見し得ずに終つたことが窺われるのであつて、前記発見の経過に作為が介在する余地も形跡も見出し難い(前掲当裁判所の検証調書及び小島朝政作成の同年六月二十六日付捜索差押調書によれば、右隠匿場所は、勝手場出入口上方の鴨居で、人目に触れるところであり、その長さ、上方の空間及び奥行いずれも僅かしかなく、もし手を伸ばして捜せば簡単に発見し得るところではあるけれども、そのため却つて捜査の盲点となり看過されたのではないかと考えられる節もあり、現に家人ですら気付いていなかつた模様である)のである。しかし、いずれにしても捜査に手抜かりがあつたからといつて、もとより被告人の前記自供内容の真実性は、何等減殺されるものではなく、むしろ、この点に関する被告人の捜査機関に対する自供内容の概略は、「鞄から教科書類を取り出して溝に埋める際、万年筆等在中の筆入れに気付いてこれを自宅に持ち帰り、腕時計と共に前記鴨居の上に隠しておいたが、その後筆入れは万年筆だけ残して燃してしまつた」というのであるから、これは鞄類、教科書類の各発見現場から、普通ならそれらと共に出るべき万年筆、筆入れが発見されておらないこと、或は前記隠匿場所が筆入れを燃したという風呂場に近いこと等の状況にも符合しており、却つてこれを措信し得るところである。

また弁護人中田直人は、捜査当局は、被告人の自白を得てかけつけて来たのであるから、自らが捜すべきを故意に立会人六造に捜させているのであつて、これは如何にも芝居がかつており、当局はそこに万年筆があることを確信していたに違いない旨主張してこれを論難する。しかし、前掲被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、被告人はこれより先、同月二十三日頃から犯行を全面的に認め一切を話すようになつている外、すでに同月二十一日被告人の自供に基き鞄類が発見されているのであり、右万年筆についてもその隠匿場所を明確に供述しているのであるから、捜査当局が或る程度これに信を措いて行動していた(翌二十五日裁判官から捜索差押許可状を得ている)ことは、当然考えられるところであり、そして発見された場合の客観性を担保させるべく、家人に該場所を捜させて発見させたからといつて、これを如何にも捜査機関に作為があつたかの如く見るのは決して当を得たものではない。

(二)  腕時計の発見経過について

この点に関する前掲各証拠によれば、押収に係る腕時計一個(同押号の六一)は、昭和三十八年七月二日被告人がその旨自供した地点である狭山市入間川四百七十九番地先道路上近くの茶株の根元に捨てられていたのを、たまたま同所附近を通行中の小川松五郎が発見して警察に届け出たものであること明らかである。

ところで、前記両弁護人は、右腕時計の側番号は、捜査当局によつて出された品触れの側番号と異つているばかりでなく、被告人は、六月二十四日に「狭山市の田中あたりに腕時計を捨てた」旨自供して図面まで提出しているのに、捜査当局は、直ちに捜索を行わず、五日後の同月二十九日頃漸く捜索に着手した等の事情があり、右腕時計の発見経過にも疑惑が存し、ひいてはそれが自白の真実性をおびやかしている旨主張する。しかしながら、右腕時計は本件捜査に全く関係のなかつた小川松五郎老人によつて、しかも捜査当局の品触れと無関係に届け出られたものであり、前掲証人中田健治、同Cの第七回公判廷における各供述、押収に係る洋裁帳及び洋裁ノート各一冊(同押号の六三、六四)を総合すれば、右腕時計は、型、針、側の色、バンドの色、穴の状態等からみて、被害者Aが生前所持していたそれと同一物であると認めることができるのであつて、弁護人等主張の如くたとえ側番号が、品触れのものと異つていたとしても、それはむしろ品触れ自体が誤つていたとみるべきであるし、まして品触れの側番号と異なる点を捉えて直ちに右時計の発見経過を疑わしいものとするのは、些さか的はずれの感がある。そして、また前記両弁護人は、捜査当局において、被告人の自供を得ても直ちに捜査に着手しなかつたのは不審であるとも主張するところ、成程被告人の司法警察員に対する昭和三十八年六月二十四日付供述調書(二、〇七〇丁以下の分)によれば、右時計は五月一一日頃の夜七時頃狭山市の田中あたりに捨てた旨の供述記載がありその地点の図面も添付されているが、検察官に対する翌二十五日付供述調書(二、一八八丁以下の分)によれば、捨てた場所は田中の道路上しかもその真中辺に捨てたもので、通行人が拾つて持つていると思う旨の供述記載が見られるのであつて、これを要するに、被告人の自供内容たるや、すでに四十余日も以前である五月一一日頃、被告人自宅、前記各犯行現場、鞄類等の発見地点等と全くかけ離れた狭山市田中の道路上しかもその真中辺に、被害者から奪取した腕時計を捨てて来たというのであり(しかも拾得のとどけ出はない)、被告人自身も誰かが拾つて持つていると思うなどというにあつたとすれば、むしろ捜査当局が被告人の右供述を吟味し確かめた後(被告人の司法警察員に対する六月二十七日付供述調書―二、一〇五丁以下の分―五項参照)に至つて現場附近の捜索に出向いたとしても強ち不自然でなく、もとより何等かの都合で、自供の五日後に至つて現場附近の捜索に赴いたとしても、それ自体右腕時計の発見経過に疑いを投げかけるべきものではあるまい。しかのみならず、被告人は腕時計を捨てた場所につき、六月二十四日以降の取り調べにおいて一貫した供述をしており、該腕時計の発見前から、その形、色、バンドにつき具体的な供述をしている外「きつと誰か拾つていると思うから新聞にも出して皆にそのことを知らせてみて下さい」とまで訴えているところもあり、前記(一)の万年筆に関する自供内容が真実であることと相俟ち、右腕時計を捨てたことに関する被告人の自供内容もまたこれを措信し得るところである。(もつとも、右腕時計は、被告人が捨てた日から五十余日を経過した後、被告人の捨てたと自供する地点から約七米五十糎離れた道路脇の茶株の根元から発見されたのであるが、この点につき、仮に一つの憶測が許されるなら、被告人は、道路上に腕時計を捨てたこと、該腕時計につき、型・番号等をテレビ等で報道していたこと、発見されたときの腕時計の汚れ具合等からみて、被告人の捨てた腕時計を拾つた何者かが、事件に関係する品物であることに気付いて、比較的早い時期に拾つた地点近くの前記茶株の根元―この場所の腕時計を発見するには、かなり注意深く捜さないと看過し易い―に戻しておいたと考えられる余地もある。しかし、だからといつて、腕時計を捨てた点に関する被告人の自供内容に真実性がないということではもちろんないし、右腕時計発見の経過に捜査機関の作為が介在したということでもない)。

(三)  鞄類の発見経過について

弁護人中田直人は、被告人の鞄類、教科書類を埋めた点に関する自白は、あまりにも不合理、不自然な点が多く、それにも拘らず、捜査当局は、鞄類につき絶大な確信をもつて捜し出しているのは奇妙であるし、その他種々の状況を考えれば、ゴム紐、鞄類、教科書類は、あらかじめこれらを処分するつもりで、別々の場所に、別々の証拠にするつもりで埋められたと考えるのが一番合理的であり、そしてそのことは、被告人の本件自白に対する真実性についての疑問をますます深めるものである旨主張するが、証人清水利一、同関源三の当公判廷における各供述(後者は第五回公判廷のもの)及び右清水利一作成の実況見分調書、被告人の司法警察員に対する六月二十一日付供述調書二通(一、九九五丁以下及び二、〇〇〇丁以下各編綴のもの)によれば、弁護人主張の鞄類(同押号の三〇乃至四〇)は、昭和三十八年六月二十一日被告人の自供するところに基き、狭山市入間川字中向沢千二百七十九番地先の溝内から発見されたものであることが認められるし、また、教科書類を埋没する機会に取り出した筆入れの中にあつた万年筆一本が被告人の自宅から発見されているのであるから、被告人が鞄類、教科書類を右溝内及び附近の溝内に埋没したとみて差支えなく、そしてその際の状況の細部において記憶が不正確、不明瞭な点が存することも事実であるが、右埋没行為は、「四本杉」での強盗強姦、強盗殺人の犯行の後B方へ脅迫状をとゞけに行く過程におけるもので、自ら供述する如く精神的に興奮しており、しかも薄暗いなかで急いでなされたことであるから、その間の記憶自体が多少不正確となり、或は事実の一部を見落すことも考えられ、これを理由に被告人自身が、右教科書類、鞄類を溝内に埋没したことまでも否定することはできない。

以上検討したところで明らかなように、前記各物証の発見経過は、被告人の本件自白の真実性を担保するものでこそあれ、決してこれを疑わしめるものでなく、前記各物証の発見経過を理由として、本件自白の真実性を争う前記弁護人等の主張は、当裁判所の採用しないところである。

なお自白の信憑力に関する弁護人等爾余の主張は、逐一検討するもほとんど独自の見解に基くものであつて、前記認定に影響し、ましてこれを根底からくつがえすに足るものはなく、その失当であること前掲各証拠に照らし明らかと認められるから、すべて採用のかぎりでない。

三、その他の主張について

(一)  弁護人橋本紀徳は、判示第四の(四)の事実は、被告人と被害者高橋良平が友人の間柄であること及び被告人が作業衣を持ち出した事情等から考えて、また判示第八の事実は、民事上の債務不履行として処理されるべき性質のものであるから、いずれも実質的違法性を欠き、犯罪が成立しない旨主張するが、前者については、この点に関する高橋良平の検察官に対する供述調書の記載によれば、被告人は、夜間鍵をかけて右良平の管理していた自動車の運転台の三角窓から手を入れてドアを明け、該自動車の中に入り、同人に無断で同所に置いてあつた判示の作業衣を取つたものであることが認められるから、これをもつて違法性を欠くものとはなし難く、窃盗罪を構成することは明らかというべく、次に後者については、大野稔、斎藤貞功の司法警察職員に対する各供述調書の記載、この点に関する被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載並びに被告人の当公判廷の供述を総合すれば、判示軽自動二輪車は月賦で買受け代金の完済を受けるまではその所有権が売主に留保されており、被告人においてもそのことを知悉して買受契約をしていながら右月賦金完済前にこれを判示石川寅夫に擅に売却したものであることが認められるから、これをもつて弁護人主張の如く単なる民事上の債務不履行であるとして違法性を欠くものとはなし難く、横領罪を構成すること疑のないところである。叙上の次第により前記弁護人の主張も採用できない。

(二)  次に弁護人三名は、被告人の精神もしくは性格に異状があるかの如き主張をしているが、被告人の当公判廷における供述態度は正常であり、その供述内容も極めて明快であること、犯行時の行動が計画的に順序立てて行われていること、生い立ち、経歴において、特段異状な性行のあつたことも、血統上遺伝的負因の存することも何等認められないこと等に徴すれば(幼少時被告人に数回夢遊病者的行動があつたこと、無口であること、他人と同席して食事をすることを好まないこと等の事実が認められないこともないが、右夢遊病者的行動は極めて一時的のことであり、その後においては別に異状がないこと、他の点の如きは、多少その傾向があるという程度のものであつて、それが精神もしくは性格の異状によるものとは認められない)、被告人の刑事責任に影響を及ぼす程度の精神もしくは性格の異状があるものとは認められない。よつて弁護人等の右主張も採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為中、強盗強姦の点は刑法第二百四十一条前段に、強盗殺人の点は同法第二百四十条後段に各該当し、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により重い強盗殺人罪の刑に従い、第二の所為は同法第百九十条に、第三の所為は同法第二百五十条、第二百四十九条第一項に、第四の(一)乃至(四)の各所為は同法第二百三十五条((一)乃至(三)についてはなお同法第六十条)に、第五の所為は森林法第百九十七条、刑法第六十条に、第六の所為は刑法第二百四条に、第七の(一)、(二)の各所為は、同法第二百八条(第五については罰金等臨時措置法第二条を、第六、第七の(一)、については同法第二条、第三条第一項第一号、刑法第六十条を、第七の(二)については罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項第一号を各適用)に、第八の所為は刑法第二百五十二条第一項に各該当し、以上は同法第四十五条前段の併合罪の関係にある。

そこで情状について考察するに、まず本件第一乃至第三の強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の各犯行は、判示の事情により迷惑をかけた父へ十三万円を渡し、残りの金を持つて東京へ出ようとして考えた幼児の誘拐を手段とする身の代金喝取の計画に起因するものであるが、被告人が判示加佐志街道でAに出会い、同女により右計画を達成しようと決意した当初は、未だ同女を殺害し、その死体を埋めて犯跡を隠蔽することまで考えていたとは思われないところ、Aを「四本杉」の雑木林に連れ込んだ後における一連の犯行は判示のとおりであつて、まさに鬼畜の所行とも見らるべきものである。すなわち無抵抗の同女を松の立木を背負わせて後手に縛り、目隠しを施し、所持品を強奪したうえ、獣欲を起して一たん松の木からはずし、再び後手に縛りなおして、同女を杉の根元に足払いをかけて仰向けに転倒させ、救いを求める同女の頸部を強圧しつつ強姦を遂げかつ殺害した所為は、Aが当日十六才の誕生日を迎えたばかりのけがれを知らぬ少女であつたことと考え併せまことに残忍極りないものというべく、次いで死体を芋穴に運び、細引紐と荒縄を用い足首を縛つて逆吊りにし、後記のとおりB方に脅迫状をとどけ、再び右芋穴に引き返して農道に穴を堀り、前記の如く手足を縛り、目隠しを施し、荒縄をかけたまま土中に埋没した所行に至つては、一片の人間心さえ見出すことができず、悪虐非道の極みといわなければならない。かくの如くして、被告人はAを殺害してしまつたにも拘らず、あくまで身の代金喝取の目的を捨てず、判示脅迫状にAから奪つた身分証明書を同封して同女の父B方にとどけ、同女の乗用していた自転車をも右B方物置の軒下に置いて、Aの生命が確実に被告人の掌中に握られており、危険が切迫しているかの如く右Bをして諒知せしめ、同人及びその家族の驚愕と悲嘆につけ込んでその目的を達成しようとした所為は、被告人の悪虐残忍性を余すところなく現わしているものというべきである。

一方ひるがえつて被害者Aは、未だ十六才の高校一年生で、幼にして母と死別したが、父Bの手で男三人、女三人の中の末娘として愛育されて幸福な日日を送り、学業成績も優れ、性格は明るく、責任感が強く、学校では教師級友の信頼も篤く、何等非違のない清純無垢の少女であつたのに、被告人の残虐な犯行により辱しめを受け、うら若い生命をも奪われて見るも無惨な姿で死体を棄て去られたことは、本人としても死に切れないものがあつたであろうし、妻亡き後男手一つで今日までAを育て上げた父B、また母を失つた後互いに相扶け、相いたわり合つて仲良く暮して来たきようだいの悲嘆、驚愕はとうてい筆舌に尽し難く、その悲しみは何物をもつてしても慰藉し得ないものといわなければならない。

次に判示その余の窃盗、傷害、暴行、横領等の各犯行は、横領を除きいずれも被告人が養豚業石田一義方に雇われていた数ヶ月の間に行われ、しかも雇主その他の不良仲間との共犯によるものが多いが、被告人がたやすく右不良仲間と共に右各犯行に及んだことは被告人の不良性、反社会性を現わすものと見ることができる。

なお本件は、あたかも東京都内に発生したいわゆる吉展ちやん事件が世上に騒がれていた最中に行われたことにより、全国の人心に極度の恐怖と不安を与えたことも無視できないところである。

被告人が、判示の如く小学校すら卒業せずして少年時代を他家で奉公人として過ごし、父母のもとで家庭的な愛情に育まれることができなかつたことは、その教養と人格形成に強い影響を及ぼしたであろうこと、そしてそれが、家庭貧困等の理由にもよるものであつて、必ずしも被告人だけの責に帰することができないこと、本件第一乃至第三の各犯行については、捜査の当初においては全面的に否認していたが、その後すべてを自白し深く反省悔悟し、被害者Aの冥福を祈り、その遺族に対しても謝罪の意を表していること、末だ二十五才の若者で前科もないことなどは、被告人にとつて有利な情状ということができるのであるが、判示第一乃至第三の各犯行の手段、態様、結果の重大その他前記各犯情にかんがみれば、右有利な諸事情も特に被告人に対する量刑を軽くすべき情状とはなし難い。

よつて被告人に対しては、判示第一の強盗殺人罪について所定刑中死刑を選択して処断し、これと併合罪の関係にある判示第二乃至第八の罪の各刑は、刑法第四十六条第一項本文によりいずれもこれを科さないこととし、押収に係る主文記載の身分証明書一通、万年筆一本、腕時計一個は、いずれも被告人が判示第一の犯行により得た賍物で、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項により、これを被害者Aの相続人に還付し、訴訟費用は、同法第百八十一条第一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 内田武文 秋葉雄治 鈴木之夫)

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